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 いいですか、皆さん、真理、真実、不可知なるものの祝福を発見するには、自由――皆さん自身および隣人の内なる争いからの自由――がなければならないのです。結局、人間が自分自身の中で争っていないとき、そのときには彼は外面的に争いを好まないものです。内なる不和が外に投影されて、世界の混乱になるのです。結局、戦争はわれわれの日常生活の劇的な結果なのです。そしてわれわれの日常的な生き方に変容が起らないかぎり、兵士、教練、旗への敬礼と、それらに伴う諸々のくだらない事柄がますます増えて、必然的に破壊と混乱をひき延ばすことになるのです。
 ある人類学者から聞いた話ですが、二、三千年前、ある政治家がこう言ったそうです。「これが最後の戦争になってほしいものだ」。しかるに、われわれはなおそれをしているのです。思うに、われわれは本当は武器を欲しているのです。武器や勲章、敬礼、飲酒、殺人といったすべてを慰み物にしているのです。なぜなら、われわれの日常生活がそうだからです。われわれは、自分の貪欲によって、搾取によって、他人を破壊に追いこんでいるのです。富裕になればなるほど、それだけ他人を搾取するのです。われわれはこういったすべてを好み、そしてまた富裕になろうとしています。兵士、警官、法律家という三つの職業が社会で幅をきかせているかぎり、文明は運命づけられるのです。そしてこれこそはインド、さらには世界中で起こっていることです。これら三種の職業はますます強固になりつつあります。皆さんは自分のまわり、および自分の内部で何が起こっているか、どんな破局を準備しているかご存じないのです。皆さんがしたいことはただ、その日その日をできるだけすみやかに、かつ愚かしく、またばらばらに過ごすことであり、そして自分の生の方向を政府、政治家、滑稽な人間たちの判断に委ねてしまうのです。
 ですから、いっさいは、あなたが人生をどうあってほしいかと思っているかにかかっているのです。もし人生がもともと葛藤の連続だというのなら、そのときには軍事的拡張は不可避です。もし人生がもともと幸福に、思慮深く、思いやりと愛情をもって生きられるべきものなら、軍人、兵士、警官、法律家は障害です。しかし法律家、警官、軍人が彼らの職業を放棄する気配はありません。これは、皆さんが搾取的な生き方――心理的にであれ、外面的にであれ――を放棄しようとしていないのと同様です。ですから、皆さんが自分の力で生きることの目的とは何を見出すこと――それを誰か他人から学ぶのではなく、自分自身で発見すること――が非常に重要なのです。つまり、自分の日常的な行動、日常的な感情と思考に気づくことです。それらに十分気づくとき、その気づきが真の目的をあばくことでしょう。

【『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】

 


クリシュナムルティの教育・人生論―心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性

 

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